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【母の毒親宣言】その事実に向き合い、どのように消化していくか(後編)

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「毒親」に育てられていた頃

 

子ども時代の影響

もともと人の気持ちに敏感なほうでしたが、小さい頃はのびのびと自由にしていた記憶があります。それが小学3年生くらい頃から、徐々に窮屈さを感じ、人の目を気にするようになりました。期待に応えなければならないと思って発言したり、行動したりしてしまうのです。

 

中学時代

この頃から、本格的に親子関係に悩むようになります。当時は何を話しても理解してもらえなくて、諦めていたところもありました。親子関係や、児童心理に関する本などを読みながら、よく一人で泣いていたものです。友達と遊びにいくこともよく思われず、悪いことをしているような気持ちになりながら外に出ていました。それでも、親の考えに抵抗しながら毎日を過ごします。そして、高校受験を前に過敏性腸症候群に苦しむようになりました。

 

高校時代

高校に入ると、頭痛や背中の痛みも現われます。病院に行っても異常は見つからず、痛み止めを飲んだり、父が通っていた整体に一緒に行ったりしていました。父も普段は優しいのです。対策を講じるために、色々なところへ連れて行ってくれましたが、根本的な原因を解決しないことにはよくならないということに気づいてはもらえなかったようです。父も、親の敷いたレールの上を行けばいいという考えの人で、私は最大限に反発していました。しかし、反論したところで理解してはもらえず、苦しみました。いわゆる「毒父」です。一年間、お互いに一切口をきかなかった時期もあります。勉強したいと思っているのに、身体が最大限に反発して言うことを聞いてくれず、まったく勉強が手につかない高校時代でした。

 

大学時代

大学に入っても、身体の不調は続き、急に視力が落ちたりもしました。それでも周囲に支えられながら、なんとか学生生活を送ることができました。そして、20歳になったのを機に、母が少し変わります。私の訴えを聞いてくれるようになったのです。もう成人したのだからと、制限を緩めてくれるようになりました。父は、「女の子だから」と相変わらずでした。

 

社会人になってから

生きづらさを感じることがあると、昔のことをよく思い出しました。でも、20代の頃は、まだそのことと自分の不調とが結びつきませんでした。ただただ、つらかった記憶として思い出されるだけでした。30代になり、さらに自分自身に向き合うようになってから、すべてがつながったのです。

 

そして、自分自身が不調なとき、母と話す機会があると、そのことを話しました。いま何が辛くて、そう感じてしまうのは、過去のこういう経験に基づいているのだと説明するのです。そうやって少しずつ解消してきました。

 

いまの自分の身に起きていることは、自分が招いていることです。でも、それに至った原因の一部には、養育環境が影響していると思っています。そのことを自分の中で解消しない限り、いつまでも同じ問題でつまずいてしまうような気がしています。

 

不調の原因を振り返った内容は、こちらの記事でまとめています。

 

  

おわりに

 

心の傷は、ずいぶん癒えてきていると思うのですが、いまでも心のブロックがなかなか外れないと感じることがあります。やりたいことがあったとき、いつもストップをかけられていたからでしょうか。思い切って何かをしようとするときに、一歩は踏み出せても、急に躊躇したりして、思い切ったことができない自分がいます。(端から見れば、十分好きなことをしているように見えるかもしれないですが・・・)イメージはあるのに、行動できないことがよくあります。遠慮、配慮、気遣い、人の目・・・行動を起こす前に、必ず周囲を見渡してから、自分の言動を決めていました。その癖が残っているのかもしれません。

 

同じように苦しんできた人が、心の傷を癒し、その事実を受け止めて前進できるように、役に立ちたいと思う自分がいます。それには、私自身がこの壁を乗り越えて、やりたいことを実現していきたいと思うのです。もういい歳になっていますが、これは一生つきあっていく問題だと感じています。やりたいことがある限り、そこに現れる壁なのです。

 

過去に縛られず、“いまを生きる”ことを大事にして、一歩ずつ前進していきたいと思います。